浮世絵で見る芝・品川

第9回 高輪うしまち

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:品川なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

ダジャレで描いた幕末風景

蔵三さん、読者の方から質問が来てますよ。



質問ねぇ。個人的なことはあんまり答えたくないんだけど、星座は水瓶座で血液型はO型。好きな食べ物はひつまぶしとインゲンの胡麻和え。好きなタイプは柴咲コウかな。

そんなどうでもいいこと誰も聞いてませんよ。質問の内容はこうです。「以前から気になっていたんですけど、うちの近所に魚籃(ぎょらん)坂っていう地名があるんですが、これはやはり品川の海で魚が捕れたことに関係があるんでしょうか」

ああ、魚籃坂ね。結論から言うと直接の関係はない。坂の中腹に「魚籃寺」というお寺があるからなんだ。

あら、関係あるんじゃないの? だって、名前からしてお魚の供養とかしてそうじゃない。


単純に「魚籃観世音菩薩」を本尊とするから魚籃寺なんだけど、この観音様の外見が魚の入った籠を持っていたり大魚の上に立っていたりするから、地域によっては魚供養とか大漁祈願をする場合もある。でも本来の魚籃観世音菩薩というのは、ちょっと意味合いが違う。

魚料理が大好きな観音様とか、熱帯魚を飼うのが趣味とか?


あはは。当たらずとも遠からずだな。もともとは中国の伝説によるもので、唐の時代に、若者たちに競ってプロポーズされたモテモテの美しい女がいた。この女が魚を扱う商売をしていたんだな。で、この女がアタシと結婚したいなら『観音経』『金剛経』『法華経』すべてを読誦してチョーダイ。そういう教養があって信心深い殿方じゃなきゃイヤ!という注文をつけた。で、これに唯一応えることができたのが馬という青年だった。

それで二人はめでたく結ばれたわけ?



それが、結婚式の当日に女が急死するんだ。実は美女に姿を変えた観音様の化身だったというんだな。

なんだかよくわからない話ね。残された馬青年が可哀想なだけじゃない?


その馬青年の奥さんということで魚籃観音は馬郎婦(めろうふ)観音とも言う。観音というのは世の中を救うためにいろんな姿に形を変えて、33の変身スタイルがある。これを三十三観音と呼ぶんだけど、魚籃観音はそのひとつだ。

もしかして京都にある三十三間堂ってそれと関係あるの?


そう。三十三間堂には1001体の千手観音があって、それぞれが33の変身バージョンを持っているから「三十三間堂の仏の数は33,033体」ということになる。

わー、凄い理屈。逆に考えれば、ひとつのバージョンで、仏像の数も33分の1で済むっていうことね。それでも有り難みは同じってことか。

これこれ、観音様のありがたさを数で計るなんぞ、そういう不信心なことではいけませんぞ。地名に関する質問の答えはそんなところでよろしいかな。拙僧はこう見えてなかなか忙しい。他に用がなければこれで…。

これでって、急にお坊さんみたいな口調で何言ってるんですか。まだ今回の浮世絵を紹介してないじゃないですか。

そういえばそうだった。今回は地名ついでに品川の地名と深い関係のある絵を紹介しよう。広重の『高輪うしまち』(写真左)だ。

あら、面白い絵ね。海岸にスイカの食べかすなんて、昔の海水浴場みたい。子犬も可愛いし。でも、地名とはどんな関係があるの?

高輪だけに、絵のモチーフが「輪」の一部、つまり「弧」になってるだろ。大八車の車輪に、大空の虹、スイカの食べかすに船の帆、犬のお尻と、すべてが弧で描かれている。

なるほど〜、そういえばそうね。そもそも高輪っていう地名にも何か意味あるの?


もともとは高縄手道が変化したものだね。縄手道というのは土を盛って高く作った長い直線道のことで、一般にはあぜ道のことだ。それが東海道の原型かどうかはわからないけど、そういう道があったということだな。同じ広重の『東海道五拾三次』に『平塚 縄手道』という絵もあるからね。ところで、この『高輪うしまち』には他にもいろんな意味が隠されている。例えば、スイカと虹で季節、つまり夏であることを表し、食べかすと野良犬を描くことで都市部から外れた場末であること、犬が運んできたらしい草鞋は、街道沿いであることを暗示している。この絵の舞台は東海道沿い、現在の京急泉岳寺駅の西側一帯で、当時は芝車町、通称・牛町と呼ばれていた地域だ。

牛町って言うと、やっぱり牛と何か関係有るわけ?


寛永11年(1634)に、増上寺安国殿の建築工事があって、建築資材を運搬するために京都からたくさんの「牛屋」が動員された。増上寺以外にも、江戸の初期には江戸城や水路の土木工事がたくさんあったから、牛を使って引く牛車は、今の大型ダンプのように重宝された。それで幕府が、牛屋にこの辺の土地を与えて、牛の飼育を命じたわけ。元禄年間には1000頭を越える牛が高輪にいたって言うから、見た目は牧場風だけど、用途としてはトラックターミナルみたいなもんだな。実際にどんな感じなのかは、この絵(写真右)を見ればわかるよ。

あははは。この絵もかわいい! 子供が牛の背に乗って大名行列を眺めてるところも、無関心なワンちゃんも…。

広重が描いた車は牛車なのか大八車なのかわからないけど、最終的には土木工事の減少とともに牛が廃れて人力の大八車が主流になる。この絵が描かれた幕末はその分岐点にあたるので、それを意図して大八車を描いたという説もあるし、単純に「くるままち」「うしまち」だからその象徴として牛車を描いたという説もある。いずれにせよ、牛車も大八車も構造はほぼ一緒なので、どちらとも言えないんだけど…。

でも、実際の牛を描かずに、牛を感じさせるところが、いかにも広重さんって感じよね。


そうだね。ちなみに二代目広重が描いた絵には牛そのものが登場しているけどね(写真下)。


ほんとだ! あれぇ? これって同じ場所? 後ろに見える船がずいぶん違うけど。

黒船を描いているだろ。黒船が実際にこんなに近くに来たわけではないけどね。それより、海の中に石垣があって、初代の絵より大きくなっているだろ。これがお台場、第6回で紹介したように、御殿山の土を使って作った国防用の砲台だ。そしてこれが造られたのは黒船来航が原因というわけだ。
<次回へ続く>

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